こんにちは。
お尻に火がつき気味な仕事ほっぽらかして
いそいそ書き込んでおります。ロクです。
「100円借りてすみません」
という内容のメールを中島に送っていたという月乃さんに
愛らしささえを感じつつある今日この頃です。でも、
「100円くらいいいじゃねぇか、小学生か!」
と思っているのは内緒です(いや、いまの時点でもうバレるって)。笑。
はてさて。
「ロクでもない若者はこわれ者の夢を見るか」の第4回をお届けします。
いきなり内面思い出語りスタートで、
本当に申し訳ございませんが、
暫しお付き合いいただければ幸いでございます。
それでは、開演致しましょうー☆
<前回までのあらすじ>
とんでもねぇリベラルなオカンに育てられたわりに
封建社会的古式床しい考えの持ち主・ロク。
若者は“赤信号、みんなで渡れば怖くない”を合い言葉に、
サイレントマイノリティに対して
手ひどい弾圧を加えていたことを思い出すが、
果たしてそれはなにを意味するのだろうか…!?
ロクが彼女を通して出会った多くの大人たちの中には、
たくさんのステキな人たちがいた。
けれど、同じくらいどうしようもない人も居た。
だからロクは次第に、なにかしらの困難を抱えている人間が、
いろんな意味で特別だとは思わなくなっていった。
当たり前のことだけれど、人によるのだ。
エロい奴もいるし根性悪い奴もいるし嘘も吐くしすぐ逆ギレする奴もいる。
抱えている困難自体は、人として上等かどうかを決めるのにはなんの影響もない。
それを、ロクは母を通して早いうちに学んだ。
いや、学ばされたといったほうが正しい。
人間の本質は、先天的なものでは決まらない。
でも同時に、ロクはその頃から人に多大な迷惑をかける人種が大ッ嫌いになった。
身内であろうとなんだろうと、人に甘えている、
自立しきれていない人間を必要以上に嫌悪するようになった。
確かに、人に支えて貰わなければならないようなコンディションの時もある。
別にロクだって、ひとりで生きてきたなんて思ってはいないし、
そうやって生きて行けるとも思わない。人に迷惑をかけることもある。
ちなみにロクの父は泥酔状態(=バーストモード)にはいると、
「ロクは生きているのか…」とよくほかの兄弟にこぼしているらしい。
うん。お父様、いつもすんません。たまには顔を見せに帰りますから。
甘えてるときだって、心配をかけることだって、あるさ。
でも、どうなんだろう。
ニートは? ひきこもりは? アルコール依存症は? いじめは? リスカは?
誤解を恐れないで言えば、それはロクにとってただの“甘え”だった。
「あんたら大概にせぇよ」の一言に尽きる。
苦しんでいる人をとっ捕まえて言うことじゃないかもしれないけど、
もちろん面と向かってなんて言えやしないけれど、彼らに対して
(あんたはどーしようもない人間なんだよ)
と、内心思っていた。
(あんたはいま、呼吸していることさえ恥ずかしい存在なんだよ)
と、余所行きの微笑を浮かべながら腹の底で思っていることだってあった。
それが、余計にその人を苦しめることを、知っていた。
無責任な発言であることも、思慮が足りないことにも気付いていた。
でも、ロクは神様でも仏様でも教祖様でもお金を貰っているわけでもないので、
自分の正直な部分が生理的な嫌悪を感じてしまうことを自戒できない。
極端な話、自分の困難に胡座をかいて、毎日16時間の睡眠をとりつつ、
「なんで俺はこんなに駄目なんだ…」
とか言っているような方と、お近づきになりたいと欠片も思わない。
「自分がこの世でいちばん可哀想な人間だなんて思ってるんだろう、
この、人間のクズが…!」
と、毒吐いてしまいたくさえなる。
いや、言わないけどね?
言わないまでもロクは、世の中の自称“いろいろ折れちゃった人”を、
そんなザンネンな人間の集まりだと決めつけていた。
ロクにとって“弱者”は“悪”そのものだ。
“弱い”ことが悪いんじゃなくて、“強くなろう”としていない、
自分の“弱さ”に甘えきっている人間が、最高に嫌悪の対象なのだ。
ここに、同族嫌悪とロク自身の“強さ”に対する
異常なまでの憧れがあることは否定しない。
でも、それだからこそ、弱い自分の“弱さ”をさらけ出すことは、
心底恥ずかしいことだと思っていた。
“弱さ”は、パフォーマンスになんかならない。
ましてやお金と時間を払ってまで共有するものじゃ、決してない。
そう思っていたからこそ、ロクは触込みの時点で
“こわれ者”のみなさんに懐疑的だったのだろう。
正直、自分から“こわれ者”なんて名乗っている集団なんて、
ろくなモンじゃねぇと思っていた。
でも、考えてみれば、自分の弱かった過去やいまも痛み続けている傷口を、
他人に見せることは、とんでもなく勇気がいることなんじゃないだろうか。
(忘れたいと思わないのかな?)
一時期自分にとって大きすぎたそういうデリケートな部分を、
パフォーマンスに落とし込むことは、
想像するだけでも多大なエネルギーが必要だった。
(隠したいと思わないのかな?)
イタかった頃の自分を見つめ直すこと自体、
同じ苦しみの渦をもう一度感じることで、
そのうえそのことを自分から他人に晒すのだ。
(怖いと、思わないのかな?)
そして、同じような困難を感じている人に共感と希望を切り売りする。
(辛いとは、思わないのかな?)
それはもう、ロクには想像もつかないくらい“強い”ことだった。
己の“弱さ”をぐるぐる巻きにふん縛り、
コンクリ穿かせて深いところに沈めてしまおうとしているロクより、
はるかに“強い“人たちだった。
第5回へ続く
あわゎ。
まさに偏見に満ちあふれた罵詈雑言ばかりで申し訳ありません。
自らの目から見て、人生の落伍者を見つけると、
「なにこの人、キモ。あはは。存在がイタすぎる…」
とか蔑みまくるある意味ボンボン(学生時代のあだ名)な若者・ロク。
履き違えていた強弱とヒエラルキーに、どのような整理をつけるのか!
一体全体この無知な若者はどこまで殊勝になることができるのか…!?
その答えは、いよいよ最終回を迎える次回更新にて☆